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カエルのケロケロレポート
2002年7月×日

森岡さんの特別講義 in 東京大学

 

*まえがき

行ってきましたよ、本郷にある東京大学へ。森岡さんが講師として招かれたと聞きつけ、密かに教室に潜り込んだカエル。この講義は分野の異なる様々な人が毎回呼ばれて単発で授業を行なうという通年ものだそうで、森岡さんの前には、情報学の西垣通さんや作家の猪瀬直樹さんも授業をしたそう。

そういえば、猪瀬さんはもはや作家ではないのかも。最近の新聞テレビのニュースによれば道路公団問題に関する審議会の委員に選出されたとか。そして、道路族議員から反発がゴウゴウだとか。どうやら猪瀬氏は、着々と政治への道を歩まれているご様子です。ケロローン。そういえば、森岡さんは昔、猪瀬氏とNHKBSの討論番組で共演した時、岡田斗司夫氏とふたりまとめて怒られた経験があるとか。猪瀬さん、怖いですけろ〜ん。

教室に入ると、三人がけの机がお行儀よく「コ」の字型にずらずらっと並べられておりました。それも、三重に、所狭しと。すでにたくさんの人が授業の開始を待っています。数えてみたら50人はいましたよ。「これは満員御礼の予感」と思って、席を確保し、椅子に腰掛け、一息ついたカエル。そこではじめて教壇の方を眺めて驚いてしまったのですけろーん。なんとそこには、見たことのあるあの顔この顔、とっても意外なあの顔この顔があったのです。

最前席にいたのは、倫理学の竹内整一さん、宗教学の島薗進さん、科学史の小松美彦さん、政治思想史の苅部直さん、作家の最相葉月さん、そして作家の田口ランディさんだったのでした。進行役が竹内さんで、その他の方々はゲストです。


なぜこの人がこんなところにっ??」という疑問がふつふつと沸いて授業どころではなくなってしまったボク。でも、あえて気にせず、今日も元気にレッツ・レポート!

この授業の共通テーマはズバリ森岡さんの研究課題、「生命」ですケロ。お話は、生命学を創設しようと思った動機から、生命学の未来にまで展開しました。

以下、森岡さん発言のカエルメモですケロ。『宗教なき時代を生きるために』や『生命学に何ができるか』の内容と重複するお話もあったのでそれは割愛し、ここでは個人的に面白かった発言を、適当に見出しをでっち上げて書いてみますケロン。


・「生命学」を言い出したくなった理由
自分が本当にやりたかったことをやれていなかったから、権力を志向していた20代の私。 わりと本気で世界を良くしたいと思っていた。しかし、今は思う。学問や知は、自分の実人生によってチェックしなければならない。試さなくてはならない。大学という形で、正当に許された学問ではなく、新しい学問が必要なのではないか。それが「生命学」を言い出したくなった理由。生命学は、社会学・哲学・心理学等と縦にあったものを、横にぶったぎるもの。近年世界で行なわれている「障がい学」
や、最近のカルチュラル・スタディースもそうなのだろう。

・80年代米国の生命倫理学の限界
当時の米国の生命倫理学は三つの点で限界だった。
@米国という社会は良い社会だという前提に立っていた。
A
「悪をなした私が、明日からどう生きればいいのか」ということを背負っていなかった。
Bある問題に巻き込まれている人々の、人と人との関わりに無関心だった。


・生命学と大学のいい関係

「生命学」の目指すところは、「くいのない人生を生ききること」自分が死ぬときに「うん、オッケー」と言って死ねること。良いこと、悪いこと、絶対に思い返したくないことがいっぱいあるけれど、「うん、オッケー」と言えること。他の人ではないこの私が、一番生きたかった自分に沿って生きてこれたかということ。人生である1個のことしか追求できないとしたら、人はみんなそれぞれの1個があると思う。それを中心に生きてゆくことができれば、学問の形でなくても良いと思う。しかし、知の助けがいると思う。私がこう言うと「その瞬間その瞬間、生きたいように生きればいいんだろ」と言う人がいる。しかし、そう生きていると、大きな罠に落ちるのはないか。そういう経験則がある。罠に落ちないために知が必要だ。また、「生きていることは生きていることで、学ではないでしょ」と言う人もいる。確かにその通り。しかし、生きるためには知が必要だと思う。私を通り抜けて伝わってゆく知。そんな知の網の目の中に自分を置いてみる。それが生命学。私がする。しかし、ひとりではできない。大学でもできるし、大学でないところでもできる。しかし、知を考えた時に、大学というのは「使える」。衝動的に生きると限界にぶつかる。罠にはまるから、知の力を使う。その時、大学というのは「使える」。生命学はよく人文科学に入れられてしまうけど、科学ではない。


・強者の生命学
強者はどのようにくいなき人生を生きたらよいのか?という質問をもらった。答える以前に、強者とは誰か、弱者とは誰かというとても難しい概念を考えなくてはならないが、質問に答えれば、
強者は自己肯定できていないことが多いのではないか。もちろん、実証できないが。なぜそう言うのかというと、昔の私の体験から。私は権力への力、影響力への力がほしくて、小さいながら一歩一歩登ってきた。その時、私は自己肯定できていなかった。だから、力にすがろうとする、求めようとする。強者は周りの人間を踏みにじっている。周りにいる人たちの「くいなき人生」を踏みにじっている。



講義後の質問タイムで、竹内さんは「くいのない人生とおっしゃるが、それがよくわからない。ニーチェ言うところのルサンチマンがないということか?」と質問されていました。しかし、カエルにしてみれば「くいのない人生ということのいったいどこがわからないのか?」と逆質問しかったですケロ。だって、感覚でわかるじゃん。というか、そんな厳密に考えなくても、感覚でわかればよいことなんじゃないかな〜。でもアカデミズムに住んでらっしゃる竹内さんにとって、感覚なんてあいまいな態度で物事を語ることは許されないのでしょう。だからきっと竹内さんは、研究者特有の意地悪な質問をしたのでしょう。大学って怖いところだけろ〜ん。

そういえば、田口ランディさんの盗作問題は記憶に新しいですケロ。

【asahi.com】田口ランディさん、解説本から無断使用 謝罪し書き直し

インターネット・コラムなどで人気がある作家の田口ランディさん(42)が、直木賞候補作となった小説「モザイク」の一部に無断使用があると指摘され、著作権を侵害したと認めていたことが分かった。田口さんは謝罪し、作品の一部を書き換えることで合意した・・・

【毎日新聞】無断引用: 田口ランディさんが著書「モザイク」で

人気女性作家の田口ランディさん(42)は1日、小説の版元である幻冬舎のホームページで、自作の小説「アンテナ」と直木賞候補になった「モザイク」の一部の表現について、他人の著作物の無断使用があると認め、謝罪した。これを受けて、幻冬舎は2冊の単行本を絶版にするとともに、改稿したうえで文庫化することを決めた・・・

ニュースを見る限り、問題となっている本は複数あるようです。ご本人も著作権侵害を認めたとのこと。森岡さんが講演中に「Life studies」「無痛文明論」と黒板に書いた時、田口さんはそれをノートに書き写していました。(ペンの動きでわかったのですケロ。)それ以外のところでも、田口さんは熱心にメモをとっておられました。「さすがベストセラーの作家さん、勉強熱心だなあ」と思いました。が、ちょっといらぬ不安を抱いてみたりしたボク。てへてへ。

レポートはこれでおしまいです。相変わらず、肝心の授業レポートがおろそかですケロ。脇道にそれたことばっかりレポしちゃって、ごめんなさいけろ〜ん。次回はどこに出没するやら。


・おまけ・
ケロケロレポート「慶應大学」編もぜひ一緒にご覧くださいませ。東大と慶應の比較分析を行なっておりますけろろん。

 

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