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カエルのミニミニレポレポ2001年5月31日
アーク都市塾ビジネスセミナー
「21世紀の人間・哲学・都市」
養老孟司+森岡正博

(*ちなみにミニレポとは、ちゃんとした文章になっていない

カエルのメモのことですけろん。)

 

*まえがき*

行ってきました。全日空ホテルとサントリーホールとテレビ朝日がひしめく、赤坂のアークヒルズへ!地上36階の高〜くて、眺めのすばらし〜いところで開催されました。会場はかな〜り広いです。前方には大きなスクリーン。そして、その手前にあるホワイトボードは観音横動き電動式。ガラス窓は一枚一枚がとっても大きくて、新宿ビル群の展望を美しく切り取っています。ここは、すごい。とってもすごいです。

養老さんと森岡さんの対談テーマは「21世紀の人間・哲学・都市」。ここからはメモですケロ。読みにくかったら、ごめんなさいケロ。


以下、養老発言メモ

明治以来、日本がやってきたことは、都市化です。石油がなければ何も動かないから、「石油の一滴は血の一滴」でやってきた。日本が南方を占領したのは、資源の確保。しかし、目的を達成したから戦略も消えてしまった。明治以来の都市化は、もう天井をうってこれ以上いかないところまできた。古代四大文明のエネルギーは木材だった。文明の跡地に森は残っていない。石油を使っているから日本には森がある。今日本はちょうど戦争にたとえると、南方を占領してミッドウェーに行くところだ。

我々はどういう世界を望むのか、ということをはっきりさせなければならない。

ハードとしての都市を考えるのか、頭の中の都市を考えるのか、2つある。都庁みたいなものをつくるんなら、インターネットのなかにつくればいい。壊すのもただ。都市化していくんなら、土建でやらずに頭の中でやれ。ゴミどこにする?という心配もない。都市化していくのなら、頭を使え。人間がどうしても戦争する生き物なら、テレビゲームで戦争すりゃいい。リセットすればいい。我々はこういう道にいけばいい。これまではハードで万里の長城だとかを作ってきた。非常に保守的。それはやめろ。土建で考えるべきでない。ソフトで作ればいい。

植物状態で、死期が迫っている人がそういう自分の運命を知って、そしてどうやって生きているのか、ということが人々を勇気づける。それをフランクルは態度的価値という。生きるとはどういうことか、ということを考えて人々は「勇気づけられる」。ホスピスで90すぎた老人が毎日文字通り「死にたくない」とわめいている。これは私からすると悲劇の極みみたいなもの。私は、平家物語ではないが「見つべきものはすべて見つ」と言って死にたい。


以下、森岡発言メモ

インターネットは都市だ。そして個人主義的です。個人がやると面白い。組織がやるとくだらない。その組織の最もくだらないのが「インパク」です。インパクに出典しようと思ったら、認可されなくてはならない。インタネで一番いいのは個人の力です。

笠井叡さんの舞台(花粉革命)はとてもよかった。体をくねらして躍っている舞台の笠井さんを、大勢の観客が見ている。彼は「自分で自分の舞台を見ることができない」と面白いことを言っていた。その意味で、自分の体は見えないのだけれども、笠井さんと観客が見ているのを、ひとつのシステムと考えられないか。それは自己言及システムなのではないか。舞台というのは、数学に似ているのではないか。数学がやっていることは、脳の性能確認。スポーツカーを買ったら、飛ばしてみたくなる。飛ばしたからといって、「だからどうした」ということなのだが。ダンスというのも性能の確認。人間というのはどこまでできるのか。 ダンサーは観客がいるから躍っている。観客はダンサーがいるからみている。

都市というのも「どこまでいけるんだろう」という、人間の自己言及運動。人間は東京のど真ん中にどこまで高いビルを作れるのだろう?というような、バベルの塔をつくる人間の本性のようなものが働いている。養老さんは昔から脳は都市化だと言っているのだが。自らの性能を確認するための自己運動は、ある意味で、人間を豊かにし、差別(搾取)する面の両方を生んでしまった。それは光と陰。分離を押し進めていると同時に、自らの可能性を無限に確かめていくプロセスなのではないか。

作ったあと、それは遺物になってゆく。遺跡です。都市の無意識。建てたいという野望は、もう建てた時点で終わっている。ビルを建てちゃうと遺物になる。生命もそう。今作っているものの次に突き抜け出ようとするものの中に「生命」があるのではないか。

次々とかすを排出しながら、無限に自己言及しているシステム、それが都市。

生命のひとつの本質は、可能性を試すということなのでは。「意味なく!」可能性を試す。給料があがる等ということではなく。都市が生命だから。都市は都市で、結果、可能性を試しているだけ。さらに先に行こうということをしているのが都市。

違う私、変えていかざる得ない私の中に、生命のよろこびがある。乗り越えるということではなく。都市も生命だとしたら、個々の人間は将棋の駒になってしまうのではないか。都市が生き生きするのなら、都市の構成員である人間は使われちゃうのではないか。都市が前に進むための歯車になって、使い捨てられるのではないか。

分かりきっている話をしている研究者は死んでゆくから、私はなるべく今考えたことを語ろうとしている。

都市の成立条件は、地球上に都市でないところがあるということ。都市でないものを搾取しながら、やっていることを自分で見ている。体と脳の関係に似ている。都市というものにいる人間たちの罠はふたつある。ひとつは、都市は自分の可能性ばかりをみているので、都市じゃないものを見失っていくということ。都市でないものに支えられてることを忘れてしまう。ふたつ目は、自己言及的ナルシシズムに陥る。ナルシシズムに陥らない罠に落ちないためにはどうすればいいか。 都市を捨てて山に行く、これはだめ。都市が吸い上げてるシステムの中にいることになるから。ではどうすればいいか、ということ。

何のために生きているのか、と考えて、Yesと答えられることが、自己言及システムから逃れるための唯一の方法なのではないか。


*あとがき

この対談、めちゃくちゃおもしろかったけろ〜〜!養老さんはボソボソとした語り口で、自分で言って自分で笑いながら話してるし、森岡さんはいつになく早口で機関銃のようにしべってるし。そして、中身は超濃密。あうんの呼吸の養老・森岡ペア。このペアといえば、「生命・科学・未来」(ジャストシステム)ですが、今回も魅せてくれました。

もらったパンフレットなどから察するに、「アーク都市塾」というのは、いわば森ビル主催のカルチャースクールといったところですけろん。そして、この度のアーク都市塾ビジネスセミナーというのは、いろいろあるセミナーのうちのひとつ、ということのようです。パンフを見ると、今回のビジネスセミナーの共通テーマは「日本再生のソリューション〜21世紀の都市社会を考える〜」。講師をみると、豪華メンバーがズラリ。月尾嘉男氏、松井孝典氏、村井純氏、佐々木かをり氏などなど。ちなみに、来週(6月7日)は浅田彰氏だそうです。過去の講師にも、驚きの豪華メンバーがズラリ。高野孟氏、竹中平蔵氏、増田明美氏、浜野保樹氏、櫻井よし子氏、隈研吾氏などなどなど。森ビルに入っているテナントの方々は、割安で受けられるそう。各地にたくさんのビルを持つ森ビルですが、森ビル自体が、もうすでにひとつの大きなコミュニティなのですね。会場は、ほぼ満席!あそらく200人はいたでしょう。きっとお金を持ってる勉強熱心な背広のビジネスマンが来るのだろうなあ、なんて想像していたのですが、意外や意外、大学生らしき若い方々もちらりほらり。それにビジネスウーマンもかなりいらっしゃいましたけろん。後方には、TV局にあるようなベーカム(?)と、それを映す大きな液晶モニタが左右にありました。すごいな、すごいな、森ビルって。

 

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