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カエルのケロケロレポート2000年4月18日
脳死臓器移植シンポジウム


 

*はじめに*

  このシンポジウム記録は脳死臓器移植という重く深い問題が中心テーマであるにもかかわらず、その問題以外の無駄なノイズも交じっております。この記録にはある方々を不快にさせてしまう表現も含まれているのかもしれません。しかし、ここは意識交流場です。私自身の判断で、自分の文章をそのまま発表することにしました。また文中のカエルとは私の仮名です。

 4月18日火曜日。そのシンポジウムは衆議院第2議員会館で行われた。
 
 えっ?! 国会議事堂でシンポジウムなんてやるの?だって国会って議会するとこなんじゃないの? でも「衆議院」ってことは、国会議事堂の中の赤い絨毯のあの廊下を歩くことになるってことかい? あー、そういえば小学生の時、社会科見学で行ったっけ。あの壁、たしか大理石なんだよなー。で、よく見るとアンモナイトの化石が埋まってるって聞いたぞ。わけわかってない私の頭の中では「衆議院第2議員会館」の勝手なイメージがふくらみつつあった。

 そう、それはシンポ前日の17日。

 まず私はこのシンポの呼びかけ人である金田誠一衆議院議員の事務所に電話をかけた。「カエルと申しますが、明日の衆議院第2議院会館で行われる脳死臓器移植のシンポを聞きに行きたいのですが。」すると丁寧な口調の婦人が答えた。「第2議院会館の受付に係りの者が通行証となるチケットをお配りしていますので、当日それをお受け取りください。お待ちしています。」

 まさか「お持ちしています」と言われるとは思わなかった。なんとかサービスセンターのフリーダイアルにかけたような気分だ。でも、そっか。よくよく考えてみれば議員事務所っていうのも選挙時には選挙事務所になって、20歳以上の人に「あなたの1票を○○に!よろしくお願いいたしまーすっ!」って言ってるんだもんなぁ。お待ちしていますっていうのも、その延長なのでしょうか・・・。そんなことを思いつつ、私はインターネットで第2議員会館なるものを調べてみなくてはならなかった。いったい議員会館って何? で、どこ? 第2ってことは、第1もあるわけ? その答えはすぐにわかった。議員会館っていうのは全部で3種類あって、衆議院のがふたつ、参議院のがひとつ。どれも国会議事堂の目と鼻の先にある。まっ、詳しくはココを見てケロ。(あー、インタネってすっごく便利。)
 
 いよいよ当日。そうなんです。確かに古かった。それに意外とちゃっちかった。赤い絨毯やら大理石やら、完全に想像先行ですね。それにねー、なんだか簡単に入れちゃうのですよ。国会議員になりたい人っていうのは全国に星の数ほどいて、そんな人々のあこがれの地、議員会館ですよ。彼らは本気でこの議員会館に入ってみたいはずなんですよ。でも、そんな彼らの願望むなしく、わたくしカエルは簡単に入ってしまうのであります。議員会館の入口を入ってすぐに国会議員との面接を希望する人が、自分の身分とその細かい面接理由なんかを用紙に書いて記入するカウンターがあるんですけど、今回のシンポに参加する人はそういう面倒な手続き一切なし。IDも見せずにボディーチェックも受けずに、難なくひとつしかない会館へのゲートをクリア。それですぐに会場である第一会議室に到着。思ったより広々とした会議室。目に飛び込んでくる「市民と衆参両議院の共催によるシンポジウム・臓器移植法成立から3年・いま改めて脳死と臓器移植を問う」の文字が書かれた大きな紙。

 席をキープし、とりあえずトイレ。いったいぜんたい、衆議院議員会館のトイレってのはどんなもんなんでしょう。全国に星の数ほどいる国会議員を志す人々も一度は使用してみたいトイレ。それは私を感動させた!男性女性用のふたつのトイレの入口のドアは1枚で、観音開きになるわけではないのだが、それぞれ西部劇のバーにあるそれにそっくりだ。まったく見慣れない。中は建物同様すごく古い。壁のタイルもとってもボロい。デパートのトイレの方が数倍しゃれてるし綺麗。でも私は手洗い場の蛇口の取っ手に注目した。流し自体はすっごくボロい。古い。しかし、それには白のにぎりに金の金具がついているではないか。この白はプラスチックなのだろうか?いや、それは大理石だ。私は、大理石と思いたい。はたして普通のトイレの水道に金なんていう色を使うだろうか?おそらく使わないだろう。金にぴったりくる素材・・・それは大理石。そして鏡の横には「節電節水にご協力を!衆議院」の文字。さらに電気のスイッチの上には古いタイプで打ったと思われる小さな赤のプレートがある。そこにはひらがなで「せつでん」の字。こんなに歴史と丁重さ?を感じるトイレはそうそうない。貴重な体験をしている自分・・・をしみじみ実感してみました。

 席についてあたりを見渡す。いったいこの会場には何人くらいの人がいるんでしょ?50人くらいなのかなあ。あまり意識していなかったのでこれは正確な数ではありません。ごめんなさい。誰が主催する市民の人で、誰がメディア関係者で、誰がギャラリーなのか全くわかりません。でも国会議員の人はだいたい、あっ、この人って目星がつきます。だって菊のバッヂしてるんだもーん。誇らしげに。バッヂ、輝いてました。でもほとんどの婦人の議員の方はスーツでなかったためかバッヂしてなかったようなので、紹介を聞くまで一体何者なのかわかりませんでした。

 私が把握できた議員の人は衆参合わせて7名くらい。漆原良夫さん・金田誠一さん・永井英慈さん・中川智子さん・山本孝史さん・堂本暁子さん・堀利和さん。すんません、見逃している人ほかにもいるかもしれません・・。でも、シンポの最初から最後までいた人って金田誠一さん、山本孝史さんだけだと思うケロ。ちなみに金田さんはあの金田案の人ですよん。中山案の対案だった金田案は、臓器移植を認めない法案ではなくって、脳死を人の死と定めないという法案でした。脳死した者を死体とせず脳死状態と呼んで、臓器の摘出は生きている者から摘出するってことにしようとしたんですね。 

 さてさて、いよいよシンポのはじまり。コーディネーターは市民側世話人のジャーナリスト向井承子さんです。まずはじめは、光石忠敬(みついしただひろ)さん。この人は弁護士さんで、元脳死臨調参与です。光石さんは今回のシンポジストの中でもっとも具体的に町野提言をガンガン批判しておりました。例えば、町野提言の「およそ人間は連帯的な存在である・・」ってところを立法上根拠なしとバッサリ切り捨て、「である」を「であるべき」と混同していると言ってます。「我々は死後の臓器提供へと自己決定している存在なのだ・・」ってところは、何人の何の意志決定もないのに自己決定とは自己決定の語の濫用で、単に言葉のプラスイメージにただ乗りしているだけだ、とも。いいぞいいぞ。光石さん。そして町野提言は、国民のおよそ半分を占める態度(反対・躊躇・わからない)を切り捨ててると言ってます。そのほか、やはり弁護士さんということで「そんな解釈は法律からはでてこない」や「法の成立経緯を無視してる」とか「その考えは所有権の濫用だ」とか「現行法の脳死概念を誤解・敢えて沈黙するなんて、不公正ないし不誠実」とズバリ。みなさん、これだけじゃ何のことだかさっぱりですよね。でもねぇ、カエルもさっぱりなんですよ。光石さんって超賢そう。法律の知識がない自分を思いっきり憎んだところで、次の人です。てへ。

 山口洋さん。この人は順天堂大学医学部名誉教授、順天堂浦安病院院長で、内科循環器科のお医者さんです。山口さんは脳死=死という図式は私の頭にないと言います。そして国民の十分な理解がないままに、議員立法で国会を通って立法化してしまったのは早計だとも。議員立法は極めて強制的な手段で、それは政治的テクニックと国会議員を前に厳しいです。いいかんじです。そして、ドイツや韓国では脳死臓器移植30年の歴史をもちながら年々ドナーの数が減り、脳死ドナーが出やすくなるように法律を改定した。オーストリアで反対カードを持ってなければ、臓器は社会のものとして、旅行者でさえも脳死と判定されれば臓器を摘出しても合法。アメリカでもドナー数が年々減り、脳死近くになる(山口さんはそれを日本大学の林先生のところに行けば治るくらいの患者と言う。低体温療法で有名な先生のことですねっ。)と早めに麻薬と血圧降下薬を点滴して少しでも新鮮な臓器を得ようとする行為が多くなり、社会倫理上の問題となっている。また、現実的なお金のことについても発言してます。心臓移植の費用はおそらく2000万以上だと思われる。限られた財源である保健医療は言うまでもなくより多くの患者に公平に活用されるべきだが、はたして高額な移植医療を医療保険で行ってよいのか? 不足に悩み節減に苦渋している医療保健法は、入院日数の短縮化や定額支払い制や老人介護保険を改定した。しかしその対象額など、心臓や肝臓移植に比べれば桁違いの少額を対象にしている。山口さん個人の意見は、移植の医療費は国民の中に多くいるはずの移植賛成者からの献金による移植基金を財源とすればよい、とのこと。特に議員立法に賛を投じた議員の人は少なくとも一口100万円以上は献金すべき、とも。ふむふむ。お金のことってどうなってるんだかよくわかんないし、そもそも臓器移植に金の話題ってタブーなかんじしてました。でも、すっきり言い切っちゃった山口さんはなんだかかっこよく見えました。

 次は古川哲雄さん。千葉西総合病院顧問の神経内科のお医者さんです。古川さんは今回のシンポで聴衆に一番ウケがよかった気がします。古川さんの主張は脳死者に本当に意識はないのか? いや意識は残っている場合があるのではないか、ということ。古川さんによると脳を除去した除脳動物についての実験の歴史は古いそう。例えば、大脳のない鳩はまったく動かない。ただ、羽根を燃やしたり針で突き刺すなどの強い刺激に対してのみ、1,2歩動いたりしてわずかに反応する。そのような除脳動物に共通するのはインプットはあるがアウトプットがないということ。すると、人の脳死患者も同じような状態にあるのではないか。インプットはあるのにアウトプットがないというのは非常に苦しい状態であろう。また日本では脳幹を含めた全脳死を脳死と判定している。しかし、いくつかの脳幹反応がなくても脳幹が全部死んでいるわけではない。少なくとも脳幹が残っていれば非常に原始的な反応はある。もし、脳死と診断された人に意識が残っているとしたら、善意で臓器を取り出してもよいとする患者を、最後の段階で苦しめているのではないか。古川さんはその可能性をどうしても拭いきれないという。柳田邦男さんが著書「犠牲(サクリファイス)」の中で、脳死状態の自分の息子が「からだで語りかけてくるという、肉親でなければわからない感覚」があると書いたのに対し、我々臨床医はこの感覚の存在を否定する根拠を持たない。古川さんは言う。異論は徹底的に受けて立つし、たくさん叩いてもらっても構わないのに、現代科学からは無視される。一方で文科系からはお呼びがかかるとも。古川さんは「脳死者に意識はあるのか?」というのは外国にはなく日本のみの疑問で、今までまったく取り上げられていない問題だと自信たっぷりでした。とっても強気で周りのみなさんはうなずきまくってました。ややや。いったい、脳死ってなんなんでしょう。私もわけがわからなくなってまいりました。

 さて次は浜辺祐一(濱邊祐一)さん。都立墨東病院救命救急センター医長です。この人もお医者さんですね。カエルの個人的な感覚ですが、濱邊さんだけが森岡さんも触れている「子ども」の問題についても語っていて、5人のシンポジスト中では一番森岡さんとぴったり重なってくるような。まず、現在の臓器移植法で評価するところは2つあると言います。本人の意思を出発点とすることと、臓器提供をするときのみ脳死状態を人の死ということ。移植法が施行されてから行われた脳死臓器移植はたかだか数例だったことに、ぼくは安心している。それはおそらく医療側が押しつけた移植ではない。きっとドナーになった方の意志が強かったのだと思う。そして医師の立場から、もし日本の医療に不信感を持っていて脳死間近の際に手抜きをされると思っている人はドナーカードを持たない方がいい、と言います。まだ脳死状態が何なのかよくわからない。プロパガンダされた死はアンフェアだ、とも。そして子どものことについてはこう言っておりました。厚生省研究班が出した報告書の6歳未満の脳死判定基準は、単に観察時間を長くしただけのこと。小さな子どもについてはよくわかっていない。生まれたばかりの子が脳死状態で50日生存したり、脳死状態が11ヶ月間維持した1歳3ヶ月の子の例もある。特に小さな子どもを亡くした親は半狂乱で、そこに子どもの臓器提供に責任を負いますかというのはあまりに酷だ。そして、はたして15歳未満の子どものことを親権者にゆだねてもよいのだろうか。もっと彼らにアプローチして、自発性を担保すべきだ。すいません、カエルは「自発性の担保」とは「自発性を重視」と同義なのかわかりませんでした。いや、でも無理やり同義と考えてみましょう。強引に。そうすると、ここらへん森岡さんと濱邊さんってとっても似かよってると思う。っていうか、子どもの部分に限らず全体的に見ても濱邊さんの考えと森岡さんの考えは通じ合ってるとみました。また最後にはこう語っておられました。脳死というものが何なのかわかっていない以上、ぼくは未知のものには謙虚になれと言っている。医者は臆病でゆっくりで手探りであるべきもの。しかし医学界の中でそう言うと非常に嫌われる。それは移植推進派の人に欠けている姿勢なのだ、と。カエルがもっともシビれた濱邊さんの言葉はこれです。取り出された臓器はジェット機で来るのに倒れた人はなぜ何時間も救急車で運ばれるのでしょう。もっと救急医療やりましょう。・・・かっこよすぎです、濱邊さん。

 さて最後はぬで島次郎さん。ちなみに「ぬで」っていう字は簡単そうでいて実は難しいです。木に勝です。三菱化学生命科学研究所の人です。広くいえば、森岡さんと同業ということになるのでしょうか。ぬで島さんの発言はもっとも具体的なものでもっとも緊急を要するものでした。ぬで島さん自身、今回はお願いに来たようなものと言っておりました。ぬで島さんは、はじめ町野提言を読んだとき腹が立って腹が立っておさまらなくて、部屋の中を行ったり来たりしてしまったそうです。そして、臓器移植法には3つの根本的な隙間があると言います。ひとつは骨や骨髄や角膜や皮膚などの組織や細胞が無規制になっていること。ふたつ目は医療目的しか定めてないので研究開発目的を認めてないのか認めているのかわからないこと。3つ目は(脳)死者からの提供しか定めてないので、生きている提供者の保護がないこと。生体肝・肺移植は8割方日本で行われているのに。日本の法はとにかく脳死者から臓器を取り出そうとしている。ほかの先進諸国はこれら3つをカバーする規定を備えているのに対し、日本の臓器移植法は根本的な欠陥を抱えている。そしてそれらの隙間を利用して、厚生省は法律の外(!)で臓器以外の人体組織を(脳)死者からも生きている人からも家族の同意のみで摘出し利用できるようにしている。つまり移植法の本人同意の原則が踏みにじられ、無償で取ったものを無償で使うという原則が損なわれようとしている。それは現行法の空洞化、家族同意への道ならしにつながる。これは詳しくは森岡さんのHPでも「『ヒト組織の移植等への利用のあり方について(案)』に対する意見」として公開されています。ぬで島さんは憤慨していました。なんと、その案が4月21日・28日に厚生省が開く厚生科学審議会にかけられ、その時に決まってしまう恐れがある。非常に緊急を要しててどうしたらよいかわからないが、はたしてこういうことが許されていいんでしょうか?そして「ヒト組織の移植等への利用のあり方について(案)」についての資料は十分に一般に公開されていない。インタネからのダウンロードもできないというひどい状況。だから、多くの人に厚生省で電話をして資料要求をしてほしい。(てるてるさんも04月18日(火)21時14分22秒に森岡さん掲示板に書き込んでいたことです)。この人体組織の扱い指針の大枠は移植法の見直しの一環として、この秋に国会できちんと審議するべきだ。倫理と民主的政策決定を踏みにじる暴挙を許せない、とも。もっともです、ぬで島さん! ああ、ほんとにここで決まってしまうのでしょうか・・・。おろおろ。

 シンポジストの人々のアピールの間に、議員の人々が発言する場面もありました。衆議院の人々は選挙をひかえていてとても大変そうです。政治家って楽じゃなさそうです。そりゃあ小渕さんも倒れます。反対の声をあげねばならないと言いながらも、そのためには選挙をやらねば・・と口々に言っておりました。選挙、がんばって下さい!

 そんなこんなでシンポジウム、とっても面白かったです。とてもとても。ほんとに。雰囲気としてはゴリゴリに脳死臓器移植反対!とするものではなく、改正ちょっと待った!あらゆる角度から慎重に慎重に考えて深く議論すべき!っていうノリです。

 以上、カエルのつたないレポートでした。真剣に臓器移植を問う会場の熱意だけでも伝わったら幸いです。
 


 

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