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| 黒トンボの彼岸 |

「日本の夜明けが来たらしいわよ。」エリスはインコをほっぽりだして、幻の黒トンボを見つけ出しに行きました。「わたしはまだ一度も見たことがないわ。だけど30年前の日本にはたくさんいたってホントなの?」どこまでも広がる湿地の草は意地悪してとんがって、エリスのきれいな足を傷つけました。「でもアルコールを持ってきたから大丈夫。破傷風にはならないはずよ。」エリスは意外と準備周到なのでした。
エリスの独白は山道に響きました。「あのね、ボートには乗りたくないの。黒トンボさんがびっくりするのもそうだけど、何よりエリスが驚いちゃうから。ほんとは船が苦手なの。飛行機の方がまだいいの。それに、ほんとは淡水魚さんも苦手なの。特に大きいものほど嫌いなの。海水に住むお魚なら大丈夫なのに、淡水に住むお魚だと怖いんです。だから水族館ではいつも淡水魚さんの一角は下を向いて走ることに決めてるの。ほんとにごめんね、オバケナマズさん。」森の葉っぱがかさかさと揺れて興味深げに聞いていました。
透きとおった水がときどき光りました。小魚はぴんぴん泳いでいました。「オバケナマズの稚魚さんだったらどうしよう?」いまここで謝るべきか、たじろぐべきか。エリスはまごまごしてしまいました。「逃げちゃダメかな、逃げちゃダメかな、逃げてもいいよね・・・。」エリスは迷ったあげく後者を選びとりました。「さよならっ、稚魚さん。ここはわたしの来るべきところじゃなかったみたい。すぐに出るわね、お邪魔はしないわ。黒トンボさんにもよろしくね。」エリスは濡れた足を拭くこともなく、サンダルを履いてそそくさと逃げました。「これでよかったんだわ。」エリスは自分の言葉に大きくうなづきましたが、気分は少しだけ憂鬱になるのでした。

「足を乾かすのに一番いい方法をご存じかしら?」エリスは沈黙を破って、元気良く言いました。「わたしはアリスさんに習ったのよ。つまりその方法とはめためた競争ということよ。コースもないし、スタートの合図もゴールもないのがめためた競争。勝手にはじめて、勝手にやめると、全員優勝できるのがめためた競争のルールなのよ。それではすぐにはじめましょう。よ〜い、ドン!」沈みゆく夕日はすべてのものに美しい影を作って遊んでいました。それを眺めるエリスはそこに、幼い認識論や素朴な存在論を重ねて、新しい思想を紡ぐのでした。おうちでは、かわいいインコがエリスの帰りをいまかいまかと待っています。