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| 朱に交われば鳥になる |
今回のお写真はいつもと違って高画質、ハイクオリティなの。
重くてごめんなさいにゃん。でも、綺麗さには自信があるわ。

鴨川の上流から吹く風はまだ冷たいわ。流れる水にも生き物のざわめきはない。流れて流れて流れていって、あと一日後には、磯に溶けて塩水になってしまうんだわ。水が高いところから低いところへ流れるなんて、最近知った気がする。私のいるところは、いつも真っ平らな世界だもの。穴も山もない、永久の平地に、私は生きているんだもの。自分を華やかに着飾ることが心を満たす世界に生きているんだもの。その日の装束が決まらなければ、私の一日は決して始まらないの。そう、この地に栄えて滅んだ平家の人々が、かつてそうであったように。

朱のぽっくりでそぞろ歩けば、旅人や子どもを守ってくれる神の尊前に、すぐにたどり着くわ。この地をはじめて訪れた人、この地を目指して彷徨している人、そしてこの世にまだ一度も生まれなかった人すら、ここでは歓迎されるのね。鴨川の水が、物理の法則通りに脈打つように、人々は感情の法則に従って、はるか大昔からこの尊道を往来してきたのね。

強くあつく熱せられ、明るい色になって燃えるもの・・・、それが火ね。火は人間が手にした諸悪の根元だなんて猛反省してゼウスの前で縮こまるんじゃなくて、いたずらっ子の小鳥が朱色になっちゃったって考えてもいいと思わない?居場所がない、なんていつまでも歌ってる人はだぁれ?鳥は鳥かごの中で歌っているわ。ろうそくに火を灯せば、誰だって早咲きの知恵を手に入れられるはずね。もちろん、燃えさかる炎の中から何度でも生まれ変われる、火の鳥ゆずりの知恵をね。

なぜか、亜米利加の田舎町の小さな教会を思い出しちゃった。畑の小麦とトウモロコシは空からばらまかれるっていうのに、人々は教会に通っていたわ。人がみんな教会にいってしまってる間に、数千の野鳥たちが空から降りてきて、小麦とトウモロコシをついばんでたの。町を離れる朝、私がつまみかんざしをプレゼントしたら、あの子は本当に目を輝かせて、花のひとつひとつに笑いかけてた。「いつか着物をきさせて」、と私の手を握りしめた彼女は、そのまま私を教会に引っ張り込んで、私にYesと神の前で誓わせた。鳥しか信じたことのない私は、そのときはじめてなんとなく、聖書を読むこころがわかってしまった気がしたの。鳥に糧を奪われても、なお、教会に足を運ぶその気持ちが。そう、鴨川の水も、ミシシッピの水も何ら変わりないということが。