|
このページの更新はおしまい。
inkotea-break
2003-02-01
いまだから同時多発テロ
同時多発テロ直後の、関西ローカルのテレビ番組のひとこまをよく覚えている。
アナウンサー:「テロを首謀したのは、ウサマ・ビン・ラディンだとされているが・・・?」
イスラム研究者: 「ラディンさんはそんな人じゃない」
私は耳を疑った。 時は、同時多発テロ直後。その頃、テレビは「ビンラディンが事件の黒幕だ」と米当局の言い分ばかりを流していた。誰もが”ビンラディン”と呼びつけにし、”世界で最も危険なテロリスト”と見なしていた頃だ。
左翼でさえも、ここまで断言しなかった。アメリカが仮想敵に仕立て上げたのがビンラディン、イスラムを追いつめたアメリカが悪い、しかし(根拠は疑われてはいるものの)無差別テロに関与したとされるビンラディンも当然許されるはずがない、彼らはそう言っていた。
そんな中、「ラディンさんはそんな人じゃない」・・・と、関西のある大学の初老のイスラム研究者は言い放った。いまにして思えば、この人は研究者の鑑だった。まず彼は、”イスラム過激派”と”イスラム原理主義”の違いを解説するところから始めた。また、ビンラディンの容姿・話し方・そのしぐさは、ムハンマドを意識しているのだと言っていた。実際、「私にはムハンマドに見える」とも言っていた。そして、事件が起きてから、すべて暗記しているのだがと前置きして「もう一度コーランを紐解いてみた」と語った。彼は、そこに同時多発テロの予見を見出したと言い、その一節をおもむろに朗読し始めたのだ。
以降、私はここまでステキなテロ関連の情報番組を見たことがない。
05/01/2002
冴えた見間違い
カエルさんが4月25日のティー・ブレイクで、復活祭でキリスト教一色に染まったオランダの街に感動したと書いていますが、私はつい、ニーチェ先生が仮にその街を歩いていたら、と考えずにはいられません。きっと眉間に皺を寄せた厳しいお顔で、肩をいからせ闊歩していたのではないでしょうか。ニーチェ先生は牧師の息子として生まれながら、生涯キリスト教を否定しました。
「弱い人間」は「強い人間」に対してルサンチマン(反感)を抱く。その時、「弱い人間」たちを支えるものがキリスト教だ。人間たちは神の前に「負い目」を抱き、自らの存在を恥じる。積極的に生を創り出すことができる強い者は悪とされ、弱く惨めな者のみが善とされる。
やがて人間たちは生の解放ではなく、苦痛を欲し自己処罰を求める。キリスト教はこう教える。現実の世界は誤った仮象のもので本当の世界は彼岸にのみある、と。ヨーロッパの人間が作り上げた理想は、「無」=ニヒルを欲するという奇怪なものに他ならない。
このようにニーチェは、ヨーロッパの歴史を「反感」の歴史だと述べ、ニヒリズムへの没落を批判しました。
私が昔アムスに行った時も、同じように鐘が鳴っていました。スピードを上げて走る路面電車に、かつて多くのユダヤ人たちが隠れていたはずの家々に、褐色の肌をあらわにした女性を映す飾り窓に、等しく鐘は響き渡っていたのです。もちろんイースターにはかなわないのでしょうけれど。
そんなとき、私は街角でこんな言葉を見ました。
God died. We live. (神は死んだ。我々は生きる。)
私はハッとしました。まさかこんなところでニーチェの言葉に出会うとは思ってもみなかったからです。しかし次の瞬間、それが見間違いであったことに気付きました。
Christ died. We live. (キリストは死んだ。我々は生きる。)
死んだのは「神」でなく「キリスト」でした。当たり前です。特に驚くべきことでもありません。聖書にそう書いてあるのですから。では、なぜ私は「キリスト」を「神」と見間違えてしまったのでしょうか。きっと理由は簡単です。
この場所に神がいなかったためです。安楽死と売春と同性愛結婚と一部の麻薬が許されているこの場所には、神の気配がなかったのです。
私は、この間違いによってあらためて、ニーチェの言葉を深く噛みしめることができました。
鐘は、私の胸にも高く鳴り響いていました。
2001-11-09
よかったですね!
安心しました。日本での騒ぎなど気にせず、お仕事を頑張ってください。
<不明邦人記者>常岡浩介さん グルジアで無事を確認
旧ソ連グルジアからロシア南部チェチェン共和国の取材に向かったまま7月中旬から消息を絶ったフリージャーナリスト、常岡浩介さん(32)は無事と分かった。本人が10月30日、父武久さん方に電話をかけてきた。武久さんによると、常岡さんはグルジアにおり「けがも病気もしていない。安全な場所にいる」と話した。
(毎日新聞) [11月9日3時3分更新]
・Yahoo!ニュース(社会)より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20011109-00002185-mai-soci
2001-09-24
インコの時代
国家とは、すべての冷ややかな怪物たちのなかで、もっとも冷ややかな怪物のことだ。国家はきみたちの徳の輝きと、きみたちの誇らかな目の光とを買収するのだ。善人も悪人も、すべての者たちが自分自身を喪失するところ、それが国家だ。すべての者たちの緩慢な自殺が「生」と呼ばれるところ、それが国家だ。
(『ツァラトゥストラ』)国家の玉座に幸福が座っているかのように思っている者をニーチェは余計者たちと呼んでいます。とすると、報復攻撃に賛成するアメリカの9割の人々は余計者たちということになります。では、残りの1割の人々はいったい何者なのでしょうか。彼らは小林よしのり氏の言う、大きくて温かい国の手の中で守られていながら国に忠誠を誓わないサヨクでしょうか。あるいはニーチェの言う、人間存在を回復して自己を超克しようとする超人でしょうか。私はサヨク、超人そのどちらも言い過ぎだと感じます。残り1割の人すべてがサヨク、超人であるはずがありません。私は少なくともこのように言えると考えます。彼らの多くはしたたかな小鳥(インコ)です。もっとも歌が上手でもっとも飛行のうまい軽やかな小鳥です。小鳥は怒りや憤りを自然な感情として放ちますが、それを連鎖させるような邪悪な魂をもっていません。小鳥は、いつのまにか最高の良き理解者を大勢従えて、永遠に無邪気に生き続けるようなしたたかな恐るべき境地に達しています。小鳥は人間に庇護されているにもかかわらず人間の指をおもいきり噛むような恩知らずの愚か者ですが、私は小鳥に嫉妬の情すら抱くほど陶酔しています。これからは平和の時代、というより小鳥の時代であるように思われます。
2001-09-21
常岡浩介さん
本日朝日新聞朝刊社会面において以下の記事が掲載されてます。
日本人記者の消息途絶える チェチェン目指し
【モスクワ20日=時事】在アゼルバイジャンの日本大使館などによると、旧ソ連・グルジアからロシア南部チェチェン共和国の取材に向かっていた日本人のフリージャーナリスト、常岡浩介さん(32)=長崎県出身=が7月中旬から消息を絶っていることが20日明らかになった。同大使館などでは何らかの事件に巻き込まれた可能性もあるとみて、グルジア、ロシア両国の関係当局に調査を依頼している。
関係筋によれば、日本にいる常岡さんの家族が先週、本人と連絡が取れなくなったとして外務省に照会してきた。
国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」によれば、常岡さんは7月中旬にグルジアのトビリシから家族にあてて「次の目的地はチェチェンで、電子メールを送るのも難しくなる」と連絡をした後、消息が途絶えているという。
シャミルシェルコさんこと常岡さんは、Ellisさんと相互リンクしてくださっている方で、しばしばEllis掲示板でもお目にかかっていました。しかし7月からは彼自身のHPの更新も止まっており、HPに出入りしている方たちの間で彼の安否を心配する声が随分前から挙がっていました。そこで今回の報道です。私個人としては、中東情勢の不安定さを誰よりも知り尽くしているだろうシェルコさんならばおそらくどこかで無事だろうと思っています。先月中旬発売の『FRIDAY』で彼のルポした記事が大きく見開きで掲載されていましたが、今回も大きな収穫を手にして、無事に帰国されることでしょう。そう願っています。関連URL
・常岡さんのページ
「シェルコの情報公開」
http://www16.tok2.com/home/sherko/title.htm
・常岡さん関連のページ
「東長崎機関」
http://www23.tok2.com/home/higashinagasaki
・Yahoo!ニュース(社会)より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20010921-00000702-jij-soci
・「阿修羅」(戦争・国際情勢)より
http://www.asyura.com/sora/war1/msg/604.html
2001-09-19
ある意味鳥も未確認なところが多い飛行物体ではありますが
昼間目撃されるUFOのほとんどはたいがい鳥です。残念ながら鳥を見誤ってUFOだ!とカンチガイしているだけなのです。
2001-09-14
過激なテロと過激な親子
ならず者の街っていうのがドラクエにあったはずだけど、現実世界にもならず者の国があるとは知らなかった。いや、もっと言うと、この世界のある国をならず者の国と呼んでいる国があるとは知らなかった。彼らは人権を盾に人を踏みつける自らの不可思議さを、ディベートの論点そらしの虚無濃霧の病のためにそれ以上考えることはないのだろう。だからといってテロは許されないし、がれきの素早い安全などかし方もわからない。
2001-09-12
過激な人々
21世紀の戦争は非殺傷兵器が使用される情報戦だなんて説は誤りだった。世紀が変わっても人々は直接に殺し合うのだ。死を恐れない者が神を叫びながら敵めがけて飛び込んでいった。敵とされた者は彼を罰するために平和を破ろうと結束している。彼らはともに神や自由の前にひれ伏す狂信者だ。狂信者は常に余裕よりも憎悪を愛する。報道は完全に管制された。私達はおろおろしながら、それでも強者につづいてしまうしかないのだろうか。半世紀経っても世界は何ひとつ変わっていない。燃え上がる炎と噴煙の間から、数羽の鳥が危険を感じて舞い上がった。
2001-07-22
私は、何かあるとすぐ鳥が!鳥が!とわめきたてるが、生涯のほとんどを食べ物探しに費やしている鳥と、生涯のほとんどをお金稼ぎに費やしている人は、本当は何も変わらない、ということを知っている。
2001-06-10
アイディアやイメージ
アイディアやイメージはどんどんわき上がって売るほどあるのに、手が追いつかないと言ったのは、私の知る限りで草間彌生と手塚治虫のふたりだ。
2001-06-02
宮澤賢治大先生
宮澤賢治のヘンテコ短編は、思想リトマス試験紙として大いに有効である。「やまなし」(『宮沢賢治全集8』ちくま文庫)を例にとろう。例えば、フロイトなら、
クラムボン→母
蟹の子と蟹の父の間にあるもの→エディプスコンプレックス
魚、カワセミ、白い樺の花びら、やまなし→呼び起こされるトラウマ
流れる谷川の水→抑圧された無意識
フェミニストなら、
クラムボン→女
蟹の父→女を殺した男
蟹の子ども→女を殺す男の予備軍
魚、カワセミ、白い樺の花びら、やまなし→ 傷つけられた女の性、あるいは押しつけられたジェンダー 、搾取される女性性
女がひとりとして出てこないこの物語→男が女にしてきた抑圧そのもの エヴァなら、
クラムボン→母
蟹の子ども→碇シンジ
蟹の父→碇ゲンドウ
魚、カワセミ、白い樺の花びら→ 襲来する使徒
やまなし→渚カヲル
谷川→第三新東京市
川の流れ→人類補完計画
ニーチェなら、
クラムボン→神
蟹の父→大衆の象徴
蟹の子ども→高貴な人間の予備軍、あるいは大衆の予備軍
魚、カワセミ、白い樺の花びら、やまなし→力への意志
谷川の水の流れ→社会に蔓延するニヒリズム
幻燈を記している作者(宮澤賢治)→私・・・等と説明するに違いない。以上のように、賢治語を己のそれぞれの用語で解説できれば、パラダイムとして合格圏にあるということか。
2001-05-26
歴史について
かわいい子も歴史年表を読みます。 ここ数年では、やっぱり95年が圧倒的に異常な年だったな、 なんて分かり切ってることを再確認してみたりね。
何しろ、数十ページに渡って、天皇・将軍・大老・内閣総理大臣・衆参議長・最高裁判所長官から、 政治・外交・通商貿易・財政経済・社会・芸能・労働事情・教育・思想・学術・文学・
美術・アフリカ・東洋・西洋まで紙面びっしりに羅列されているものだから、 時間を忘れてしまいます。 いまどこだっけ?等と、ときの迷子になることも。
仕方ないので、太字で強調されたところばかりを目で追えば
「コラッ!人は歴史を背負う存在だ」
なんて自己陶酔の寂しい大人に説教食らわれそうでびくびくしてみたり。 だからといって、鶴見氏のようにダンスばっかするつもりもないので、朝まで観てしまうわけよ、例の番組を。
デカルトに倣って「ひとの言葉を聞くというより、そのひとの行動を見る」 ようにしていたのですけど、やはりそれはテレビを通じては限界があるように感じます。
また、みんなひとつ大事なことがわかっていないようですね。正史年表なんてインコの手(嘴)にかかればよい巣材になってしまう木の葉みたいな代物だ、ということです。
だから正史なんてくだらない、ということではなく インコはそれをあたかも木の葉のように扱い巣の材料にしてしまう、ということなのです。 つまり、次代を担う子どもたちへなんていうメッセージは実はどうでもよくて、私が聞きたいのは、歴史ってあなたにとって何者?私にとって何者?ということです。
あるいは、草に埋もれながら耳から耳へと語り継がれた正史ではないエンタテイメントがしゃしゃり出て、人々を熱狂させ、巨額の富を生むのはけしからんの?ということです。
インコはそれを平気で盗んで巣の材料にしてるけれども、 果たしてそれは明日の私の部屋を飾るものなのだろうか? 部屋は飾らなくとも、私の爪の先にまで降りてくるべきものなのだろうか?
爪の先まででなくとも、それはどの辺まで降りてくるべきなんだろうか?皮膚までか、血管までか、神経までか、心臓までか?わけわかんない私はうんざりしながらも、1922年はソヴィエト社会主義共和国連邦が成立し、
森鴎外が61歳の生を終えた年なのね、と妙な感慨に耽って、あえて難しい問題から目をそらそうとするのです。
2001-05-19
ニーチェはインコを知らなかった
狂気の人間。諸君はあの狂気の人間のことを耳にしなかったか?白昼に提燈をつけながら、市場へ駆けてきて、ひっきりなしに「おれは神をさがしている!おれは神を探している!」と叫んだ人間のことを。市場には折しも、神を信じない人々が大勢群がっていたので、たちまち彼はひどい物笑いの種となった。
(悦ばしき知識)私が楽しいのは、街を歩いていて、あるいはTV・雑誌等を眺めていて、ふとインコを見つけてしまったときだ。ニーチェがこのあと「おれたちが神を殺したのだ!おれたちはみな神の殺害者なのだ!」とわめきちらしているのに対し、私の方は、「わたしはインコを見たのだ!わたしはいまインコの目撃者なのだ!」とわめきちらすのが常だ。
|