| ロングティー・ブレイク |
ちょっぴり長めなかわいい考察
| ■電車について その1 哲学者編 |
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| 騒音問題に取り組んでいるN・Y氏と、生命問題に取り組んでいるM・M氏が電車に乗っているのを見た。どちらも日本の哲学界から旗揚げして、独自の世界を展開させる思想家だ。そのふたりが面と面を向き合わせ、同じ空間を共有していた。目の当たりにしている私が、彼らじっと観察していたのは言うまでもない。私は、彼らの一挙一動の中に下世話な箇所を見つけようとした。 |
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| とにかく珍しかった。彼らの著作の断片が、飛び込んでくる景色とともに思い出され、流れてゆく景色とともに消えていった。彼らの放った崇高なフレーズがホームの到着音とだぶり、発車音の中で増幅された。彼らの教え子たちが、今にもメモを取りだし、思想を熱心に味わい、ありがたく抽出しようとする様子を、私は思い浮かべた。彼らの理論に熱狂するのは教え子だけとは限らない。研究室や教室へ潜り込むことを踏みとどまっている人々も、静かに熱い。彼らの発する理念はいつでも立派だからだ。 |
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| しかし、私が目の当たりにした彼らは粟粒ほどの大きさだった。著書や教壇の上の彼らは、真理をしょって立っていたのに、電車の中の彼らには実存も平和も希望もなかった。私は、誰もが知っているはずのフレーズを思い出した。 |
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| 彼等は妙に小さかった。のみならず、如何にもみすぼらしかった。 『或阿呆の一生』 |
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| 「ニーチェが…、ヒトラーが…、悪の研究会が…」 彼らの会話が、車内のざわめきにまじって、一騒音に変わった。交わされていたのが雑談だったからかもしれない。だから彼らは粟粒だったのかもしれない。それに、電車という妙な装置のせいかもしれない。電車は、時間と社会と人間の縮図だからだ。運動する物体では、時間がいつもゆっくり流れる。社会はそれに比例して縮みはじめる。人間は光の速さで動けない。座席についた人が、うとうとしている間に見るのは、いつも必ず悪い夢だ。 |
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電車についてその2・・・「詩人」編も見てね!